ここでは天下三名槍(てんがさんめいそう)の一条、蜻蛉切についてまとめています。
「東の御手杵、西の日本号」と言われたニ条の名槍に「蜻蛉切」が加わり「天下三名槍」と呼ばれるようになりました。
名槍・蜻蛉切はどのような槍なのでしょうか?また蜻蛉切は今、どこにあるのでしょうか?調べてみました!
天下三名槍の一条、蜻蛉切とは?
名槍「蜻蛉切」は 藤原正真作と伝えられています。
たてかけてあったこの槍に、蜻蛉(とんぼ)が触れたところ真っ二つになったという逸話から、「蜻蛉切(とんぼきり)」という名前になったと言われています。
かつては柄の部分に青い螺鈿模様が施され長さは4mもあったと言われていますが、現在は刃先のみが現存しています。
天下三名槍の一条、蜻蛉切の梵字の意味は?
笹の葉のような刃先に、梵字(サンスクリット語)が3文字彫られています。
引用元…つるぎ屋ホームページ
蜻蛉切の梵字の意味は下から、
①カンマーン(不動明王)
②破邪の剣「三鈷剣」
③サ(聖観音菩薩)
④キリーク(阿弥陀如来)
⑤カ(地蔵菩薩)
①「不動明王」や②三鈷剣は他の刀剣にも多く彫刻されていますが、武器に③「聖観音菩薩」④「阿弥陀如来」⑤地蔵菩薩を彫刻してあるのは珍しいそうです。
敵味方の供養のための大きな数珠を、甲冑にかけて戦場にでていた本多忠勝らしい梵字のチョイスだったのではないでしょうか?
天下三名槍の一条、蜻蛉切の持ち主は?
「蜻蛉切」は徳川家康の家臣で「徳川四天王」の一人、戦国最強の武将・本多忠勝が愛用していました。忠勝は「蜻蛉切」を生涯手放すことなく、年老いてからも柄の長さを調節したりして持ちやすく改良を重ねながら大切にしていたといいます。
三重県桑名市にある「本多忠勝」の銅像。鹿角の甲冑に大きな数珠を袈裟懸けにかけて背中には蜻蛉切が立ててありますね。
引用元…トリップアドバイザー
本多忠勝は14歳から生涯57回も出陣し、一度もかすり傷すら負わなかったと言われています。その手には必ず「蜻蛉切」があり、鹿の角をあしらった大胆な甲冑姿に大きな数珠を袈裟懸けに戦場に向かったそうです。
また織田信長は「花も実も兼ね備えた武将である」と呼ばれ、豊臣秀吉には「日本第一、古今独歩の勇士」と呼ばれたと記録にありますね。
多くの名刀は褒美として譲られたり、戦に負けて取られたり、また金銭に困って売り渡されたりして持ち主が変わっていますが、「蜻蛉切」は本多忠勝の愛槍として忠勝が亡くなった後も昭和の時代まで本多家にありました。
天下三名槍の一条、蜻蛉切はどこで見れる?
「蜻蛉切」は、戦後に本多家より刀剣収集家の手に渡りましたが、その後三島市にある佐野美術館に寄贈され現存しています。
「蜻蛉切」は常設展示ではないようですので、佐野美術館においでの際には確認の上の来館をおすすめします。また佐野美術館には他にも貴重な刀剣が所蔵されていますよ!

江戸時代に作られた「蜻蛉切」の写し(模造刀)が東京国立博物館に所蔵されています。こちらも常設展示ではありませんのご注意ください!
「刀剣乱舞」の蜻蛉切とは?
名だたる刀剣を擬人化し、歴史修正主義者と戦わせるゲーム「刀剣乱舞」で蜻蛉切は真面目で実直な大男として登場します。
胸には本物の「蜻蛉切」に彫刻された梵字が浮かび上がっています。
「蜻蛉切」はゲーム上でも、戦国最強の武将・本多忠勝が生涯大切にした名槍らしい振る舞いをしています。
まとめ
- 「蜻蛉切」は飛んでいた蜻蛉を両断するほど鋭利なことから名付けられた名槍。
- 「蜻蛉切」は戦国最強の武将・本多忠勝の愛槍として知られ、戦後まで本多家が所蔵していた。
- 「蜻蛉切」は現存しており、現在は三島市の佐野美術館所蔵となっている
「蜻蛉切」はその逸話もさることながら、笹葉の刃先や梵字のデザインなど美術品としても価値も非常に高いを言われているそうです。
まだ本物を見た事はありませんが、ぜひ一度見てみたいと思います。
↓↓↓「佐野美術館」学芸員で刀剣研究家としても有名な渡辺妙子さんの著書!もちろん「蜻蛉切」も登場します。