ここでは天下三名槍(てんがさんめいそう)の一条、日本号(にほんごう)についてまとめています。
「東の御手杵、西の日本号」と言われた名槍で、これに「蜻蛉切」が加わり「天下三名槍」と呼ばれるようになりました。
古く唄にも唄われてきた名槍・日本号はどのような槍なのでしょうか?また日本号は今、どこにあるのでしょうか?調べてみました!
天下三名槍の日本号とは?
日本号は無銘の槍で作者は不明ながら、元々は皇族が所有していた為に「正三位」という位がついています。武器である槍に「位」がついているのはとても珍しいのだそうです。
刃の部分は約80cm、柄の長さも含めると約3.2m。刃には倶利伽藍の模様が入っています。
日本号は、後に織田信長から豊臣秀吉へ、さらに豊臣秀吉から家臣の福島正則に渡りました。福島正則は「賤ヵ岳の戦い」(1583年)などで武功をあげ「賤ヵ岳の七本槍」の1人として知られる武将です。
福島正則は武勇伝には事欠きませんが乱暴者の大酒飲みとして知られており、徳川方の資料「台徳院殿御実紀」には「この人(正則)資性強暴にて、軍功にほこり」との記載があることでも有名ですね。
天下三名槍とは?黒田節に歌い継がれる日本号
文禄・慶長の役の休戦中(1592〜1598)、福島正則が酒宴の席で、日本号を賭けて飲み比べをけしかけます。これに黒田官兵衛の家臣・母里太兵衛が飲み勝って、日本号は母里家の家宝になったのです。
この時の様子(?)が今も旧黒田家領地であった福岡県の民謡・黒田節に唄われています。
♪♪酒は呑め呑め、呑むならば
♪♪日の本一のこの槍を 呑みとるほどに呑むならば
♪♪これぞまことの黒田武士(くろだぶし)
この唄の中の「日の本一の槍」こそが日本号のことなのです。
↓↓↓博多にある「母里太兵衛」の銅像
天下三名槍とは?日本号の持ち主は?
■織田信長
■豊臣秀吉
■福島正則
■母里友信(太兵衛)
以降、母里家に伝わりますが、明治30年代に母里家から持ち出され売買いされて一時所在不明になりました。しかし旧福岡藩士の実業家・安川敬一郎男爵が日本号を見つけて買取り黒田家に寄贈したことで、日本号は福岡に戻りました。
昭和になってから黒田家当主の黒田長礼の死後、遺言により福岡市に寄贈されました。
天下三名槍の一条、日本号はどこで見れる?
黒田家より福岡市に寄贈された日本号は現在、福岡市立博物館に常設展示されています。
柄の部分には青い螺鈿模様が入っており、また刀傷もあることから実戦で使用されたと言われていますね。
福岡市博物館には「刀剣乱舞」でおなじみの「へし切り長谷部」も所蔵されています。こちらは年に一度だけの公開となっています。
「刀剣乱舞」の日本号とは?
名だたる刀剣を擬人化し、歴史修正主義者と戦わせるゲーム「刀剣乱舞」で、日本号は大酒飲みの大男として登場します。
出陣の際も酒瓶が腰についており、「呑めば呑むほど強くなる!」と豪語する場面もあります。その反面、福島正則の逸話からか虎を怖がったり、仲間を気遣ったりと「年長者」らしい振る舞いも見えますね。
まとめ
- 天下三名槍の一条、日本号は皇室の持ち物だったことから「正三位」の位がついている名槍
- 黒田官兵衛の家臣・母里友信が福島正則から呑み取ったことで有名で「黒田節」にも唄われている。
- 日本号は現存しており、福岡市博物館で見る事ができる。
- 「刀剣乱舞」でも大酒飲みの大男というキャラクターで登場している
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