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天下三名槍とは?東の御手杵はどこで見れる?

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ここでは天下三名槍(てんがさんめいそう)の一条、「御手杵」(おてぎね)についてまとめています。

「東の御手杵、西の日本号」と言われた名槍で、これに「蜻蛉切」が加わり「天下三名槍」と呼ばれるようになりました。

 

 

 

天下三名槍の一条、御手杵とは?

「御手杵」は、室町時代に結城晴朝(1534~1614)の依頼により、四代目五条義助が鍛刀した大身槍です。

刃先を納める鞘の形が杵に似ていることから、「御手杵」と呼ばれるようになったとされています。

参勤交代の為に鞘が大きく巨大に作られたことでも有名ですね。その鞘から御手杵を抜くと雪が降ると言い伝えられていたそうです。

その由緒ある歴史、美しさ、大きさなどから「天下三名槍」の一条とされています。

 

 

 

天下三名槍の一条、御手杵の大きさは?

その大きさで有名な御手杵は全長3.8m!

重さは約20キロあったそうです。

さらに杵型の大きな鞘も20キロあったそうなので、全部合わせると約40キロ!参勤交代の際には旗印の隣に必ず一緒に移動していたとあるので、お刀番は大変苦労されたことでしょう。

御手杵は刃の部分だけでも139㎝あり、槍とはいえ桁外れの大きさといえます。

三名槍の他の2本と比較してみましょう

日本号は刃が80cm、柄を含めて約3m28cm

蜻蛉切は刃が44cm、柄も含めて約3m

こう見ても御手杵の大きさがよくわかるかと思います。

 

 

 

天下三名槍の一条、御手杵の持ち主は?

御手杵の歴代の主な持ち主は以下の通りとなっています。

◻️結城晴朝(1534~1614) 五条五助に鍛刀を依頼。

◻️結城秀康(1574~1607) 徳川家康の実子で結城晴朝の養子となった。

◻️松平直基(1604~1648)秀康の実子で松平大和守家の祖となった。

その後は松平大和守家に家宝として伝わった。

◻️松平斉定(1823~1841)の大名行列で御手杵を掲げている様子が行列絵巻に描かれている。

◻️松平直正(1919~没年不明)の代で東京大空襲にて焼失。直正による回想録によれば、自身の戦地出征前に家宝は地下に埋めておくように家人に言いつけたが、家人が家宝を埋めることを躊躇したため蔵ごと被害にあって焼失したという。

 

 

 

天下三名槍の一条、御手杵はどこで見れる?

本物の御手杵は1945年の東京大空襲によって焼失してしまいました。

しかし、戦前に撮られたたった1枚の写真から様々な場所で模造刀、復元刀が作られています。

 

たった1枚の写真から御手杵は再現されました。これがその写真です。引用元つるぎ屋ホームページ

 

 

「御手杵」の模造刀はここで見れる!

模造刀は茨城県結城美術館、埼玉県箭弓稲荷神社、川越市立博物館(鞘部分のみ)にて展示されています。

 

 

 

刀鍛冶による「御手杵」の再現品はここでみれる!

2018年に刀鍛冶によって鍛刀された再現刀の御手杵は、松平家ゆかりの前橋東照宮に所蔵され常設展示となっています。こちらの御手杵が限りなく本物に近い状態であると言われていますね。

 

 

 

「刀剣乱舞」の御手杵は?

名だたる刀剣を擬人化して歴史修正主義者と戦わせるゲーム「刀剣乱舞」で、御手杵は長身の爽やかな好青年として登場します。

天下三名槍の他の2本ほどの逸話もないことで気後れするような発言があるかと思いきや、「刺すことなら誰にも負けない」と武器としてのプライドを見せる場面もあります。

 

 

 

映画「引越し大名」で御手杵が大活躍!

2019年の映画「引越し大名」にて、松平大和守家の国替え騒動が描かれています。その際の大名行列のシーンに御手杵が登場しています。

高橋一生さん演じる御刀番の鷹村が華麗な槍さばきを披露しています。

↓↓↓ 合わせて読みたい!

「引越し大名」(映画)で高橋一生が捌いた槍は?天下三名槍の御手杵とは?

 

 

 

まとめ

  • 御手杵の長さ全長3.8mの桁外れの大きさ!
  • 御手杵の名前の由来は杵の形の鞘から。
  • 御手杵の鞘は参勤交代の象徴として大きく作られた。
  • 本物の御手杵は東京大空襲で焼失した。
  • 御手杵の再現品は前橋東照宮に展示されている。
  • 映画「引越し大名」で御手杵が登場する。
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