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パラリンクピックの歴史を簡単に解説!子ども向けにまとめてみた!

子育て
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東京オリンピック・パラリンピック2020の開催まであと1年となりましたね!

ここでは、意外と知られていないパラリンピックの歴史を子ども向けにわかりやすく簡単に解説しています。私も子ども達に聞かれて、改めて調べてみました!

夏休みの宿題やレポートにする子ども向けにもピッタリに内容にしてあります。

それでは、「パラリンピックの歴史を簡単に解説!子ども向けにまとめてみた!」です。どうぞ!

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パラリンピックの歴史を簡単に解説!

パラリンピックの歴史をひもといてみましょう!

パラリンピックとは?

パラリンピックとは国際障がい者スポーツ大会のことです。1985年に正式に「パラリンピック」の名称が決定しました。

パラリンピックの「パラ」とは2つの言葉からきています。

一つ目は「パラプレジア(両足がまひした者)」の意味。二つ目は「パラレル(もうひとつの)」の意味から来ています。

 

パラリンピックの始まりは、怪我をした兵士の治療から

パラリンピック、つまり障がい者スポーツはどのように始まったのでしょうか?

初めて障がい者スポーツ(パラリンピック)を行ったのはドイツ生まれのユダヤ人のお医者さんグッドマン博士と言われています。

 

グッドマン博士は、第2次世界大戦で怪我をした元兵士たちのために戦争で傷ついた心と体をいやす方法を探していました。

そこで博士は車いす生活になってしまった元兵士たちに、バスケットボールやアーチェリーなどのスポーツをすすめました。

車いすの元兵士たちがスポーツを始めてからみるみる元気になっていったのを見た博士は、障がい者のスポーツは患者さんの新しい希望になるとして、「障がい者のスポーツ大会」を提案したのです。

 

”パラリンピックの生みの親” ルードウィッヒ・グッドマン博士(1899〜1980)はドイツで生まれたユダヤ人のお医者さんです。当時ドイツではヒトラー政権によるユダヤ人狩りが行われていましたが、グッドマン博士とその家族は逃げ延びてイギリスへ亡命しました。

 

1948年、初めての障がい者スポーツ大会(アーチェリー大会)が、イギリスのロンドンという街にあるストーク・マンデビル病院で開催されました。この障害者スポーツ大会はこのあとも毎年開催され、1960年まで「ストークマンデビル大会」と呼ばれていました。

 

ルードウィッヒ・グッドマン博士の名言のひとつに

「失われたものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」というのがあります!

” It’s ability, not disability, that counts …. Ludwig Guttman ”

第1回パラリンピックは1960年のローマで開催

1948年からはじまった「ストークマンデビル大会」は年々規模が大きくなっていきました。

そして1960年の第17回オリンピックローマ大会の時に開催された「国際ストークマンデビル大会」は世界23カ国、約400名が参加する世界規模の大きな大会となりました。この時に「国際ストークマンデビル大会委員会」(ISMGC)が設立され、グッドマン博士が初代会長になりました。

この大会がのちに「第一回パラリンピック」と呼ばれるようになりました。

第2回パラリンピックは東京だった!

パラリンピックの生みの親グッドマン博士のもとで学んだ日本人のお医者さんがいました。大分県国立別府病院の中村裕博士です。

中村裕博士は日本でのパラリンピックの開催に力を尽くして、1964年の東京オリンピックの際に東京パラリンピックが開催になりました。これが第2回パラリンピックとなりました。

東京パラリンピック(国際身体障がい者スポーツ大会/第2回パラリンピック)では、車いすの選手だけでなく目や耳に障がいのある選手も競技に参加するようになりました。

冬季パラリンピックは1976年から開催

冬季パラリンピックは、1976年のエンツェルツヴィーク(スウェーデン)大会より開催されました。16の国と地域から53人の選手が集まりました。

冬季パラリンピックの規模も年々大きくなり、2018年平昌冬季パラリンピックでは49カ国567人の選手が参加しています。

 

2020年東京パラリンピックの競技や種目は?

2020年東京パラリンピックでは22競技537種目が開催されます。

アーチェリー


陸上競技


ボッチャ


自転車競技(ロード、トラック)


馬術
視覚障害者

5人制サッカー


ゴールボール


柔道


バラカヌー


パラトライアスロン


パワーリフティング


ボート


射撃競技


競泳


卓球


バレーボール


車いす
フェンシング


ウィルチェアーラグビー


車いすテニス


パラバドミントン


パラテコンドー

2016年リオデジャネイロパラリンピックでは159カ国から4333人の選手が参加しました。

2020年東京パラリンピックでは更に多くの選手が参加すると言われています。

 

2020年東京パラリンピック 期待の日本人選手は?

2016年リオデジャネイロ パラリンピックで、日本のメダル数は金メダル0個、銀メダル10個、銅メダル14個を獲得しています。

2020年東京パラリンピックではどのような日本人選手が活躍するでしょうか?

注目選手を5人紹介いたします!

車いすテニス 国枝慎吾選手

キングオブパラアスリートと呼ばれる国枝慎吾選手。

9歳の時に難病が原因で下半身まひとなり車いす生活となりました。11歳の時に母親のすすめで車いすテニスを始め、20歳でアテネパラリンピック大会で金メダルを獲得したのを皮切りに数々の偉業を成し遂げて来ました。


2019年にダブルス、シングルでもメダルを穫り、2020年東京パラリンピックへの切符を一番乗りで穫りました。現在、車いす世界ランキング第1位となっており、2020年東京パラリンピックでもメダルが期待されます。

 

陸上競技 土田和歌子選手

土田和歌子選手は、夏冬の両パラリンピックに出場しているスーパー・パラアスリートです。
https://twitter.com/parasapo/status/1049461788100587523?s=21

高校2年生の時に交通事故の怪我で車いす生活になりました。19歳の時に冬季パラリンピック競技のアイススレッジを始め、1998年長野パラリンピックで金2銀2計4個のメダルを獲得しました。その後、アイススレッジ競技がパラ競技から消えた後は夏季パラリンピックの陸上競技(車いすマラゾン)のプロ選手となり、アテネパラリンピックで金メダルを獲得しています。2020年東京パラリンピックではトライアスロンでエントリーしており、こちらもメダルが期待されています。

 

パラカヌー 瀬立モニカ選手

中学からカヌーで国体を目指していた瀬立せりゅうモニカ選手は、高校1年の時に体育の授業の事故で体幹機能不全となってしまいました。しかし高校2年からパラカヌーを始め、その年の夏から日本選手権を2連覇するなど、数々の記録を打ち立てて行きます。

そして、パラカヌー競技ではたった1人の日本人選手として2016年リオデジャネイロパラリンピックに出場しました。

https://twitter.com/monika3252/status/1153239876474507265?s=21
2020年東京パラリンピックでも活躍が期待されています。

 

ブラインドサッカー日本代表

ブラインドサッカー日本代表チームがパラリンピックの出場するのは2020年東京パラリンピックが初めてとなります。

視覚障がいのある選手が5対5で戦う「フットサル」に近い形の競技になります。日本では、ブラインドサッカーなどの障がい者サッカーをまとめている障がい者サッカー連盟が日本サッカー連盟に統括されました。それにより、障がい者サッカーへの支援体制が整い急速に発展してきました。

 

 陸上競技 山本篤選手

パラアスリートのレジェンドを呼ばれる山本篤選手は高校2年の時にスクーターで事故を起こし、その怪我が原因で左足は太ももから下を切断して失いました。義足をつけて生活することになり、それから義足技師を目指して学校に通いましたが、そこで義足スポーツ研究者の稲葉さんという人に競技をすすめられて、パラ競技をはじめました。

競技を始めてからは数々の記録を打ち立ててきましたが、2004年にパラスポーツ選手としては異例のスポーツ推薦で大体育大学に入学します。ここで健常者と同じ陸上競技部に入部しトレーニングを行い、走り幅跳びの日本記録を次々と塗り替えていきます。

2008年北京パラリンピックに初出場し走り幅跳びで銀メダルを獲得。2012年のロンドンパラリンピックでは陸上チームのキャプテンをつとめ、得意の走り幅跳びで金メダルを獲得しました。

2016年のリオデジャネイロパラリンピックでも走り幅跳びで銀メダル、400mリレーで銅メダルを獲得しました。また夏季だけでなく冬季オリンピックでのスノーボード日本代表となり出場しましたが、こちらは途中棄権となっています。

2020年東京パラリンピックにも陸上競技で出場が決定しており、メダルの獲得が期待されています。

まとめ

パラリンピックの歴史はいかがでしたか?

  • 障がい者スポーツは傷ついた兵士のために始まった。
  • ドイツ人医師のグッドマン博士によって障がい者スポーツが広まっていった。
  • 1960年ローマで第1回パラリンピックが開催された
  • 第2回パラリンピックは1964年グッドマン博士の弟子・中村裕医師に尽力により東京で開催された。

2020年の夏に始まる東京パラリンピック、ますます楽しみになりますね!

↓↓↓2020年東京オリンピックパラリンピック完全ガイドはこちらから!

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